いよいよ始まった避難所生活。
被災から1週間ほど経ち、支援物資の衣服や寝具も届くようになり、非常電話の設置や、一部区間での携帯電話の復帰、仮設給水所、日本赤十字の診察など、徐々にライフラインが整う中、電気だけは依然として不通でした。
体の弱いお年寄りや、小さいお子さんが居る家族ずれの方々は、県が手配してくれた県内のホテルや福祉施設への仮避難という事で、希望者のみが避難所を出て行った。
これにより、夜勤による夜間警備は必要なくなり、オイラは普通に寝る事が出来る様になった。
とは言う物の、避難所は混雑しているのには変わりなく、オイラに与えられたスペースは畳1畳ほどのスペースで、体の大きいオイラは体を丸めて寝るしかなかった。
震災から1週間ほど経ち、小山さん宅に避難していた両親の所に行った時の事です。
部屋の中に蛍光灯の明かりが点いていた!!
なんと松倉はすでに電気と水道が来ており、ガスが来ればライフラインの全てが揃う状態だった。
するとお風呂に入る事をすすめられた。
避難所の人のほとんどが風呂に入れない状態の中、オイラだけが風呂に入るのは気が引けたが、皮膚が弱く湿疹が出来やすいオイラは1週間ぶりの風呂(シャワーのみ)に綺麗サッパリ!!
サッパリした体で避難所に帰ると、町内会の人が『アブ〜!良い匂いするな〜』
思わず『ごめん!風呂入ってきた!!』
これは不意に出たオイラの正直な言葉だった。
今避難所に居るほとんどの人が風呂に入れず、濡れタオルやウエットティッシュなどで体を拭いていたのでした。
でもこのような不衛生な状態は自衛隊によって解消された。
駅周辺の広場に自衛隊の仮設銭湯がオープンした!!
風呂を待ちわびた人は多く、待ち時間は男性で30分から1時間で、女性は2時間ほど待たされる事もあった。
早速入りに行くと、1時間ほど待ってやっと順番が来て風呂に入ると、バスタオルや下着が配られ、シャンプーやボディーソープも装備しており、風呂あがりにはミネラルウオーターも配られた。
浴槽は鉄パイプを組んだビニール製の大型浴槽で、オイラが座ると首まであごまで沈む深めの物だった。
震災後初めて浴槽に首まで漬かった時は思わず『生き返った〜〜〜〜!!』と悶絶。
ここでオイラが思った事!!
『風呂は入らなくても死なないが、風呂に入れば生き返る!!』
ここから自衛隊風呂に通う日々が続き、そのうちに市内の銭湯もあちこちオープンしだすと徐々に自衛隊風呂も混雑が解消し、仮設住宅が要所要所に完成し、避難者の入居が始まった頃になると自衛隊風呂を使う人も少なくなり、7月中ごろに終了しました。
すずらん湯ありがとう!!!!!
続く