オイラの使命は避難所の盛り上げ!!

以前として電気が不通の旧一中避難所でしたが、震災から10日目にして、やっと電気が来た!!



これで夜も明るい所でご飯が食えると一安心したのだが、オイラはここから苦痛の日々が始まった・・・
通路側で寝ていたオイラの頭上に常夜灯が点いており、常夜灯周辺に夜は来ず24時間日中状態・・・・・
顔にタオルを巻いたり、アイマスクをしたりなどしないと寝れない状態となったのでした。

最終的には自作でダンボール製開閉式のカバーを付けました。

この頃になると携帯電話も繋がり始め、最初につながった時はメール受信が止まらず、不在着信と安否確認のメールが山の様に来てました。
オイラも返信の電話を仮設の緊急電話で返すが
(避難所周辺は携帯電波が不通のため)何名かは着信が拒否設定になったりで通話できなかった。
通話できた友達や親戚と話をした時は涙が出そうになり、思わず声が詰まる事もあったが、暗い表情を出してはいけないと我に言い聞かせ、極力明るく話すように心掛けた。
その後も色々と不自由は続いたが、道路の不通箇所が自衛隊や民間企業により開通され、オイラも車にガソリンを入れれるようになり、遠くへの買い物も出来るようになった。
所が、突然襲った大きな余震で再び停電!!
海岸には50センチほどの津波が押し寄せ、避難所に居るのに更なる高台へ逃げ惑う人たち・・・
翌日にはスーパーやガソリンスタンドで買占めが始まり、震災直後に逆戻りとなった・・・
でもそんな混乱は長くは続かず、3日ほど経った頃には電気も回復し、買占めも沈静化した。
とは言え食料やガソリンを買うには長蛇の列でした。

それから1ヶ月・・・・・

震災から1ヶ月が過ぎ、この頃になるとスーパーに食材が豊富に並び始め、ガソリンスタンドの混雑も沈静化、避難所では隣近所との交流も深まり、他の地区の人や役所の人とも顔見知りになってきた。


この時点で250名ほどの人が居た。

こうなるとプラス思考のオイラは、避難所生活を楽しく過ごそうと考え出した。
どうせ暮らすなら、避難所生活を楽しく過ごそうじゃないかと!
不の気持ちを幸に変えるのはオイラしかいないと!!
まず最初にした事は、避難所内で蒸しパンを作ってみた。
同じ避難所に居た3人の子供たちと一緒に材料を混ぜ合わせ、避難所内に甘い匂いを漂わせながら蒸すこと20分。
こうして出来たのが下記の蒸しパン!!


市販品のような出来栄えに一同驚愕!!

子供たちにも好評で、これに味を占めたオイラは第2弾を企画したのだが・・・・


まさかの失敗・・・・

これはこれで味は良かったんですよ!!!
笑いも取れたし!!

蒸しパンによって子供たちとも仲良くなり、次は大人たちとの親睦です。
ちょうどこの頃、避難所の入り口にある桜の木が綺麗に咲いていた。
この桜を武器に親睦会となると、花見しかないとオイラは動き出した。



旧一中避難所花見委員会の設立である!!

委員長はもちろんオイラで、町内会の人を副委員長に任命!!
オイラがいた避難所は、酒を飲んでも乱れる人が居ないのと、廃校になった学校の体育館という事もあり、避難所内での飲酒は解禁となっていた。
そこで買い集めた食材でホルモン鍋を作り
『飲み物と食べ物は各自持参で飲み放題、食べ放題』と言うルールで、避難所の外で希望者のみの参加で花見会が開催された。
当初の予想で10名程度の参加を予想していたオイラだったが、いざ花見が始まると予想以上の30名ほどが集まった。


開始直後で15名ほど集まりました。

避難所内で隣の人と話すにも自然と小さな声になりがちですが、今日は無礼講!!
各々楽しそうに声を張り上げて楽しい時間が過ぎて行くのでした。
ちなみに終了時刻は消灯30分前のPM8時30分でした。
参加した人は大満足で、第2回目の開催をリクエストされるほどでした。
これで大人同士の親睦も深まり、オイラの
第1回避難所生活を盛り上げる作戦は成功となった。


続く