避難生活の食事

避難所が確定し、寝床も確保したとなれば、次に気になるのは食事です。
2日目の朝食が煎餅で、昼は飲まず食わずで町内会の人を捜し歩く毎日でした。
夜は小さなおにぎりと、魚の煮物でした。
ですが我が町内会は、最初に非難していた避難所から飲み物や非常食を持たされていました。
それを町内会の皆で食べいたおかげで、空腹で苦しむことはありませんでした。
しかも震災から1週間ほどはさまざまな食べ物の配給もあり、その中にはスモークサーモンやキビ団子などのお菓子の配給もありました。



おにぎりは市の職員が薪で炊いたご飯を一つ一つ握ったおにぎりや、いんスタント味噌汁、支援物資のパンや缶詰や野菜ジュースなど。
オイラはこのままのメニューで配給が続くと信じていたオイラでしたが、自衛隊の配給が始まると急に配給の具合が変わってきました・・・
自衛隊が定期的に運んでくるのは、大小さまざまの白おにぎりでした。



味も塩味で、しょっぱいのもあれば味が無いものもあり、硬さもさまざまで、食べきれないおにぎりを朝まで取って置くと
米に戻るほど硬いおにぎりがあった。
そんな時はお湯で戻して、お茶づけにして食べてました。
それでも食べれるだけも嬉しいオイラでした。
所が・・・・
ここから思いもしない苦痛の日々が始まった・・・
最初はおにぎりと缶詰などのおかずが付いていていたが、突然おにぎりとお茶だけの配給になったのだ!!
その日からオイラは町内会の人の安否確認と共に、おかずとなる食料調達もしなくてはいけなくなった。
一日の移動距離は数キロ、しかも徒歩で移動の日々が続いた。
スーパーでは販売制限で食べたい物は買えず、食べ物を買うお金もATMが使えないので底を付き始める。
時には食品倉庫から流出した食料を町内会の人と共に拾い集めて食べていた。



ですがおかずを食べれるのは良いほうで、足腰の弱いお年寄りや婦人は白いおにぎりで耐えしのぐしかなかった。
オイラは避難所で町内会の人が寄り集まっていたので、買い集めた食べ物を互いに交換し合って食べていました。
そんな苦行の様な日々の中、すごく嬉しかったのはボランティア団体の炊き出しでした。

釣り仲間の、さっちゃんが来てくれたカレーの炊き出し。


インド人が作ってくれた色とりどりのおにぎりと、本格インド式のチキンカレーとナン



花巻から来た婦人団体の五目寿司とお漬物と味噌汁。

ですがこんな白おにぎりだけの生活も長くは続かず、徐々におかずが付き始めた!!


神戸の名物くぎ煮と見た事も無い関西風インスタント味噌汁

震災から1ヶ月ほどが過ぎると食品会社のお弁当が配給となった。
久々のしっかりしたおかずが出た時には思わず笑みがこぼれたオイラでした。


炊き出しとお弁当が合わさると、とてつもない豪華夕食になる!!

さらにさらに!!
思わぬ配給で、ミスタードーナツが配給になる事も。


この頃からオイラの体重増加が始まる・・・・
震災後は一気に5キロほど落ち、このまま痩せるのかと思っていたのに・・・
まさかのリバウンド・・・・


続く