震災2日目の深夜

安心な避難所に移り、体調が心配なダンディーもなんとか居心地の良い場所に移動させた。
オイラも昼の疲れでひと時の休息zzzz
だがそんな休息中にとんでもない事が起きていた!!
なんと避難所で盗難、置き引きが発生していた!!
置いていた食料や飲み物が無くなっていた・・・
最も悪質だったのが、寝ている体の不自由なお年寄りが寝ている所から、全ての毛布を剥ぎ取っていたのだ・・・・
オイラの居る港町だけでこれだけの被害があるのだから、避難所全体ではどれだけの事が有った事か・・
この事件がきっかけで、オイラの昼夜逆転の避難所生活がスタートした・・・
日中は町内会の人や、ほかの避難者が起きているので、夜間に全員が寝静まった頃に起き、朝まで守衛の夜勤をするのでした。
すると毛布剥ぎ取り犯を発見!!!
寝ているお年寄りの毛布を、横から引き抜こうとしていたのだ!!!
深夜と言う事もあり口頭注意で見逃すが、その引き抜き犯もお年寄りだった・・・・・・。

さてこの守衛の夜勤だが、守衛以外にも役割があった。
避難所内は広い体育館に作業灯2個、ストーブのともし火の照明のみ。
足の不自由な方や、お年寄りには足元が暗く、歩くのもやっとの状態。
そんな時、普段から車内に搭載していたLEDライトが役に立った。
手を取り足元を照らしながらトイレへ誘導するのが仕事となった。
すると思わぬ助っ人が現れた!!
その助っ人は同じく津波で被災したフィリピン人だった。
なぜフィリピン人が??
釜石湾内に荷積みで入港し津波に巻き込まれ、岸壁に打ちあがった大型貨物船の乗組員なのです。



このフィリピンの船員は、お年寄りや女性が通ると足元を照らし続けてくれたのでした。
オイラの安物LEDライトとは違い、強力なライトで足元を照らすだから、それは大変心強い味方です。

追記
食糧の配給に文句を言う人や、横から割り込む人が居る中、異国の避難者は
食料や物資の配給は一番最後尾に必ず並んで、日本人優先で順番をゆずっていました。
同じ日本人として何とも情けない姿でした。


翌朝。
皆が起きた頃オイラは睡眠に入るのだが、なんせ400人ほどの人が入り乱れる中、ゆったり寝れるはずが無く、うとうとと仮眠する程度でしかない。
そんな夢うつつの時、震災後初の朝食が配給された。
その内容は、せんべい1枚である・・・・
しかも2人で1枚・・・・
町内会の皆が気を利かせ、オイラにそのせんべいを2枚分け与えてくれたのでした。
だがそんなおやつ程度で空腹が満たされるわけが・・・・・
あったのだ!!
気は心と言うのか、なんとなく空腹が満たされた!!
そして仮眠へzzzz


ひと時の仮眠でオイラの昼の仕事は、町内会の人の安否確認です。
港町周辺の避難所を徒歩で回り、町内会の人が居ないかを探し回る。
これがオイラの日課となった。

続く!!


只越町2丁目:国道45号パイパス高架橋から


只越町2丁目:避難道路から



嬉石町2丁目:工藤歯科クリニック付近


浜町3丁目:避難道路から見た浜町1丁目と釜石湾



大渡町:製鉄所東門三の橋

ここに我が家の瓦礫がありました。


松原町3丁目:セルフスタンドのオカモト



松原2町:大久保電器商会付近


松原3丁目:パーラークエスト



港町2丁目:国道45号パイパス高架橋から見た、観光船はまゆり乗船場。


港町2丁目:漁船が消えた漁港


港町2丁目:新日本製鉄所全天候ヤード。


持ち主を失ったぬいぐるみが、悲しそうな目線で何かを語りかけてきました

今回掲載した写真は、震災2日目から3日目までの写真です。
2日目には主要道路の瓦礫撤去が始まり、3日目には自衛隊、警察、消防の車両が被災地へ入りました。