震災2日目

夜が明けて一番最初にした事は、高台から海を見下ろす事だった。
そこに広がっていた景色に言葉を失った。
世界一の規模を誇る湾口防波堤が無残な姿で倒壊、湾内には無数の瓦礫が島を作っていた。
空からは自衛隊や民間の取材ヘリが飛び交う。
そんな時、我が愛犬に異変が!!
周囲を散歩途中に突然バッタリと倒れた・・・
それもそのはず、13歳を越す高齢に加え突然の生活環境の変化で体調を崩したのでした。
暖かい車内で寝かせようと思うがガス欠寸前となっていた。
なんとかダンディーの安住の地を探しオイラの避難先を確保する為、車を放置してダンディーを抱きかかえ歩き出した。
まず向かったのは我が家だった。
途中の嬉石、松原町内は壊滅・・・
交差点には若い女性の遺体が横たわり、矢の裏橋には無数の瓦礫と車が流れ着いていた。



矢の裏橋を渡る途中に見えるはずの我が家だが、その姿は無く、家があった場所には土台だけが残り、回り近所も建物はほとんど残っては居ない。

港町は消滅した。

我が家から歩き出し、目の前の港湾事務所に出入りする見慣れた顔。
海岸から僅かしか離れていない3階立ての建物に町内会の人が非難していたのでした。
皆から『無事だったか〜!!』と声を掛けられ飲み物を出された時は、安心感で思わず涙ぐんでしまった。
なんとか仮の避難所を確保したオイラはダンディーをそこに置き、親戚、友人の安否確認と、安否報告の為に市内へ歩き出した

まず釣り仲間の家を訪問し安否報告。
そして釣具の小山さんへ安否報告の為、友達に無理を言って松倉まで車で送迎を頼み、小山さん宅に到着。
そこに居たのは両親だった。
無事なオイラの姿を見て小山さんと共に涙ぐまれ、自宅と市内の状況報告のみで、小山さんに両親を頼み、再び町内会の人が居る港湾事務所へ戻った。
すると海から差ほど離れていない港湾事務所は避難所として危険なため、市内の廃校となった旧第一中学校へ移動するとの事。
だがここで大問題が発生した。
ペットの持ち込みは禁止とのこと・・・・
そこで一度避難所に入り町内会の荷物を搬入し、松倉方面に出る避難用のバスにダンディーと乗り込み、再び小山さんの元へ。
その頃にはダンディーは立つ事も出来ず、完全な寝たきりとなっていた・・・
小山さんに到着し両親と共にダンディーの世話も頼むことにした・・・
帰りは哲平君に送迎を頼み、寄り道で勤務先に立ち寄り、エアーキャップと呼ばれる保護材を保温シート代わりに使おうともらいに行くが、この期に及んで会社の営利しか考えない上司の一言は・・・

『引越しが忙しくなったら使うから・・・・』

ブチ切れそうな感情を抑え、給料天引きでもらうことを承認してもらうが、もらった品は使い古しのエアーキャップだった・・・・
さらに下敷きに使えそうな巻きダンボールも天引きで買うことを交渉するが・・・

『シートには会社名が入り、それがゴミになると会社に迷惑がかかるから・・・』

この大変な時に人命より会社の利益を取るとは・・・
完全に切れたオイラは無言で職場を後にし、天引きで購入した使い古しのエアーキャップを片手に避難所へ戻った。
避難所は人一人がやっと寝る程度のスペースが有るか無いかの状況で、僅かにあるストーブの周りに町内会の皆が寄り集まっていた。
さっそくエアーキャップを切り分け、各々は配給された毛布と一緒に体に巻いたり、床に敷いたりして『暖かいね〜』と言いながら包まっていました。

※写真は震災から7日目の避難所の写真です。
2日目より人は減少してますが、スペース的に空きはありません。
参考程度にご覧ください。

そして迎えた2日目の夜。
車内に比べれば暖房器具もあるので若干暖かいが、1つのストーブを数人で取り囲む異様な光景・・
慣れない集団生活と話し声や足音などで騒がしかったが、前日と今日1日の疲れで、いつのまにか寝ていたオイラzzzz

だが事件はその間に起きていた!!

続く!!


港町1丁目:我が家があった場所


港町2丁目:タバコ協会付近


港町2丁目:小澤組資材置き場


製鉄所桟橋入り口から見たMSオカムラ



只越町:東北銀行前


大町町:ドコモショップ前



大渡町:大正軒付近


駒木町:釜石駅裏の甲子川


横転した車の中には遺体があり、道路はヘドロと瓦礫で埋め尽くされ、養殖されていたチョウザメが市内各所に横たわり、甲子川にも流されてきた車や瓦礫が沈んでいた。